キャッシングValue 長い長い、ぼそぼそ。 あいこでしょ?
 
バイク好き。カワサキ特に好き。 日常をだらんだらんと好き勝手に書きなぐってます。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

これから書くことは、嘘でも何でもなくてほんとのことです。
信じてもらえなくても構わないので、でもブログには書いておこうと思います。

これを書いておかないと、私の異常なほどに“早くバイクに上手に乗りたい”と焦っていたのかが分かってもらえないと思いました。

何故捨て鉢とも思える言動の数々を繰り返していたのかとか。
何故技術不足にも関わらずサーキットを目指していたのかとか。
早く上手になりたいと思うあまりに起こしていたその挙動不審な行動の理由は説明出来ないでしょう。

大っぴらに話す事が免罪符になるとは思っていません。
こちらのブログを読んで下さる方が少ないことも承知しています。

そして本当に読んでほしい人には読んでもらえないことも分かっています。

けど、黙ってばかりいたら本当の自分のことを分かって貰えない。
それは私にとっては耐え難い屈辱です。

昨日からアップしては消して、の繰り返しでしたが、心を決めてアップします。

長くなります。


去年暮れか今年初めか。
たまに立ちくらみとかめまいとか起こしていたのですが、それが頻繁に起こってきました。

もともと子宮内膜症が完治していないこともあり、それは単純にその病気だと思っていましたし(いわゆる月イチの時しか、その症状が出てこなかったこともあり)、医師からもそう言われていたので気にしていませんでした。

けれど4月に入ってから、その症状が頻繁に起きてきました。
意味もなく疲れたり、とにかく目を使うとその症状が顕著に目立つのです。
そして最近妙に遠くの字が見えないなあと…ちょっと気づいていたのですがコンタクトを作り直しすれば良いだろうと楽観視していました。

近くもぼんやりとしてあまり見えなくなってきている事には気づかないふりをしていました。

医師から視力が極端に落ちてきているのを聞いた時、愕然としました。
最初は家族にすら言えませんでした。
当然周囲にも言えません。

明日になれば少しは良くなるだろうと…いつも期待をこめて起床しても決して事態は変わっていません。



怖かったです。
いつか見えなくなると本気で怯えました。

以前話したかどうか…私は出生時に逆子として生まれてきました。
母親から私自身が取り出された際に左目に機械が引っかかりまして、左側眼球が傷つきました。
そのために元からの弱視でした。
矯正はもちろん不可能。0.05とか…そんなもんだと思います。
視力検査の一番上の開いている部分が見えないんで。

だからつまり私の左目はこいのぼりの目ん玉よりも頼りない、ただくっついているだけの目ん玉なのです。

それゆえ右側が見えなくなるということは、私にとっては考えられないことでしたし、絶対あってはならないことでした。
けれどそれが現実のものとして、ゆったりゆっくりと私の元へ近づいてきていました。

いよいよぼやけてくることが多くなってきました。
パソコンの画面を見るのが辛くて、パソコンから離れる時間を作るように心がけたのもこの頃からです。
ですのでブログの更新も止めました。

この行為も、視力低下を止めうる力にはならなかったわけですが。
悪あがきと言われても構わなくて、少しでも進行をゆるやかにしてみたかったのです。

医師には右目の矯正手術を勧められましたが、その手術が失敗することで私は右目の視力を失う可能性もありました。
前述した通り左目だけで生活する事は無理です。
バイクにも乗れなくなってしまいます。

ですから博打のような手術をするつもりもありませんでした。

とはいえ、このまま眼鏡やコンタクトで右目に負担を与え続ける事は決して良くない事というのは医師から重ねて言われていましたし、自分でも十分承知していたことは追記しておきます。

だから決めました。
目が見えなくなってきてからの数ヶ月間、決めました。

“この目が見えなくなる前にやりたい事をやろう。
あたしは後悔しないように自分のやりたいことをやるんだ。
そして言いたいことは言う”。

ぼんやりとしてきた視力をそうやって悲しんでるよりも、やりたいことやって見えなくなるほうが良かったのです。

だからそれが私の全ての行動の基本となりました。
この言葉に、嘘はありません。

サーキットも走りたいと願いました。
早く大型免許を取って大きいバイクに乗りたい、と願いました。
残念だけどサーキットは間に合わないませんでした。
けど、大型免許は取れました。
大きいバイクに乗ることは叶わなかったけれど。



悲劇のヒロインぶって同情してもらうつもりは毛頭ありません。
ただ事実を淡々と書き連ねるだけです。

今まで言いたくても言えませんでした。
助けてくれ、と泣き言を言っても、もう助けてもらえない事は分かっていたからです。

その前に助けをたくさん求めすぎたからで、それは言うまでもなく私の自己管理がなっていないから。
こんな私が嫌われても仕方ない。

きっとみんなから悪く思われているんだと、その頃は全ての感情がどす黒いほうに向かっていました。

嫌われていることを確認することが怖くてメールも出せないですし、電話ももう出来ません。
今後一切鳴らない電話を待つことも怖くて、アドレス帳から名前を消しました。

いまや相手にとっては既に私はどうとでも思われていないのであろうことは分かっていて私の行為なんて取るに足らないことです。

でも暴れるしかなかった、あの頃は。
何よりも誰よりも不安に思っていた自分の目のことを、言うわけにはいかなかった。

それはすなわち甘えているということだから。

ほんと、ばかでしょう? 笑いたければ笑え、てなもんです。
私は今でも、その人に本心を伝えるのが怖いのです。
…いや、もう本心なんて伝える術はないのですけれど。

『依存心の強い人(私)は自分の後始末も出来ない。』
それを実感していますし、言いたい事を言う代償としての責任感を私は持ち合わせていなかった。

今はそれを深く恥じています。


結局私は思い悩んだ挙句、先週、一か八かの手術を受けました。
医者からは「右目はあなたにとっての死活問題につながる目だから受けなくても良いと言いたい所ですが…でも受けることで川崎さんの将来が変わるかもしれない」と、まあ非常にぼんやりしたアドバイスを受けたわけですが^^;

最終的に決めたその理由は“見えるようになってからやりたいことやってやる”という、もはや捨て身の意地汚い理由でした。

私は結局欲張りなんですね。
何もかも手に入れたいと思っていたけれど、目が見えなくなってからのことを考えるのが怖かった。
だったら今度は、ちゃんと見える目を手に入れてから頑張ろう。

そう思ったのでした。

幸運にも手術は成功し、私は片目ですが1.5の視力を取り戻しました。

もう焦らなくても良い。
自分のペースで行けば良い。
そうやって励ましてもらった、気がしました。

気持ちに余裕がなかったこの半年。
今度はうまく、生きられるだろうか。
今、私がその時期に出会って別れてしまった人たちは、きっと私のことは忘れてはいるのだろうけれども。

私はあなたたちのことは忘れずに、毎日生きてます。

私から連絡が出来る日が来るかどうかも分かりませんが。
私に連絡をくれないということは私は要するに必要のない人間だったのだとそう思うようにしました。
悲しいことですが、そうとでも思わないとやってられません。

馬鹿ばっかやってましたが、本当にあのころは楽しかった。
こんな私にお付き合いくださった「あのころ」の皆様、まじめにありがとう。




さて、演歌みたいなブログはもうおしまい。
私はもう泣き言は言わないのです。
あいや、言うかもしれませんが、もうこの事について触れることはないと思います。

あの時期に知り合い、そして私の不注意で失った大事な人たちを思うと、私のショックはちょっと並大抵なものではありませんでしたが、やっと最近元気も出てきました。

読んでくださった皆様ありがとうございます。

手術を通して、たくさんの方に応援してもらって、終わってからもたくさんの方にお祝いを言ってもらって。
私はほんっとに幸せでした。
本当にありがとうございます。

結局は全ての皆様に助けられて毎日生きているのだと。
そう思うようになりました。

宗教じみてます?
でもね、私は立派な無宗教人です^^;

それと最後に一言だけ。
“目は大事にね^^”

説得力あるでしょ(笑
あまり正しいことは言わない私だけど、これだけは信じておいたほうが良いですよ。

スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://kawasakiaiko.blog50.fc2.com/tb.php/124-860b5161
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。